病院に頼りたいのはやまやまだが…

通常、難聴の赤ちゃんは、病院で生まれ、病院の新生児聴覚スクリーニングで難聴の疑いありとされ、病院で精密検査を受け、事実上の難聴の確定診断を受ける。その後、病院で様々な検査を受けて、補聴器を装用し、場合によっては人工内耳の話へと進んでいく。右も左もわからない不安な親にとって、(他の専門家等からの情報がない場合)病院の先生や病院にいる専門家の言葉は、ある意味唯一の拠り所でもある。そして、自然に身を任せていれば、病院でひとまず完結する。

でも、本当にこれでいいのだろうか?

一般的に病院の方針は聴覚口話法と親和性が高い。聴覚口話法とは、残存聴力(補聴器装用含む)や人工内耳を活用しながら、音声言語を聞くこと、話すことを目指す方針である。補聴器については、その道の専門家もいるが、先天性難聴の場合、大抵、最初の入口は病院だと思う。人工内耳については手術が必要なので、もちろん病院にお願いすることになる。となれば、病院にあるノウハウやスキルを最大限活用することとは、すなわち、医療技術を使って耳から音声言語を少しでもたくさん取り入れることができるようにすることである。その後、聞き取る訓練、読唇や発話の訓練等を経て(←これらは病院の領域ではないが)、音声言語を使ったコミュニケーションがとれるようになることを目指す。

社会の圧倒的大多数が、コミュニケーション手段として音声言語である日本語を使うこの国において、聴覚口話法で療育、教育を進めていくことの優位性はある意味ゆるぎないものなんだと思う。そう考えると、医療に委ねていいじゃない、聴覚口話法がいいじゃない、という気もする。実際に、僕もある程度はそう思っている。

でも、いくつか素朴な疑問がある。

● 医療行為等によって聞こえるようになるまではどうしたら良いのだろうか?それまでの赤ちゃんの言語発達についてはどのように考えれば良いのか。

● 医療行為等によっても効果があまりなかった場合はどうしたら良いのだろうか?効果がないとわかった時点でどのような療育・教育方針にシフトすれば良いのか(そして、言語発達の観点から間に合うのか)。

● 内耳の問題等により、そもそも医療行為等が難しい場合はどうしたら良いのだろうか?

このあたりがどうも釈然としない。

もはや医療の領域ではないので、別の専門家に聞いて下さい、と言われるだけなのかもしれない…

でも、これらの疑問への回答ってものすごく大事だと思う。

重い先天性難聴の場合、脳が言語を覚えた後で聞こえなくなるのではなく、脳が言語を覚える前に既に聞こえていない。だからこそ、音声が耳から聞こえづらい  or 聞こえない状態で、どのようにすれば子供の言語発達を促すことができるのか、ということをざっくりでもいいので、回答として用意しておくことは極めて重要なのではないか。子供にとって重要なのはもちろん、親にとっても道筋のイメージができることで、不安や心理的負担が相当軽くなると思う。

そんなことを考えていくと、やはり、先天性難聴児の場合は、医療だけでなく、療育、教育、言語、福祉等、関係する専門領域を網羅的に見る必要があるのだと改めて思う。