手話を使ってない!

※ 東京在住 DENKAさんより寄稿いただきました。 

 新型コロナ対策の外出自粛要請で、4月3日からずっと在宅勤務です。3月から週2日は在宅勤務になっていましたが、4月7日に政府が緊急事態宣言を出してからは、上司の許可がないと出社できない状況です。

 それ以来2週間余り、妻以外と会話をしていません。もともと1人でこつこつできる仕事なので、社内の会議は前からほとんどありませんでした。それにしても会話の相手は激減しました。社内の人との連絡はメールで済んでしまいます。週に1回、社内の聴覚障碍者や手話に関心がある社員が集まり「手話ランチ&勉強会」を開いていましたが、4月以降なくなりました。

 また、(株)アウトソーシングビジネスサービス WPグループが開いている手話教室「手話寺子屋」も4月からの新学期は開講が延期されました。5月になっても開講は無理かも?と思っています。

 というわけで、1か月近くろくに手話を使っていません。自宅で、YouTubeやNHKの手話番組を見ればいいのですが、これだけ生活環境が激変すると、それに対応するのに精いっぱいで(言い訳かな・・・)、なかなかその気になれません。

 そんなとき、1か月余りぶりにこの「イヤーリンク」のサイトをのぞきました。すると主宰者が「こどもの手話が上達して、読み取れなくなった・・・」と嘆いていらっしゃった。それを見た私の率直な感想は「手話でコミュニケーションをとる機会があって、羨ましい!」でした。

 主宰者とは話したことがあるのですが、「音のない世界」「音のない世界~6年後」という映画があります。私は昨年の「東京国際ろう映画祭」で見ました。同じ「音のない世界」というタイトルのフランス映画があり、こちらの方がDVD化されていて有名かもしれませんが、私が話したいのは1999年アメリカ映画の方です。

 テーマは聴覚障害児の育て方。このサイトで取り上げていることと同じです。詳しい内容の説明は省きますが、この映画が伝えようとしているのは、人工内耳による口話にしろ、手話による言語獲得にしろ、大事なのはその子のコミュニケーション能力をいかに育むか、ということだ。この映画を見て、私はそう思いました。そして私たちは、相手のことを知りたいという強い気持ち、自分の気持ちを伝えたいという熱い思いがあれば、言葉(言語)が拙くてもコミュニケーションは成り立つんだ、ということを知っています。

 子どもが自分の手話スキルを最大限使って父親に何かを伝えようとしているのは、そのコミュニケーション能力が問題なく育っている証拠でしょう。また、親子関係が良好な証でもある、と思います。

 言葉の上達に一番効く薬は、相手が話していることを理解したいという気持ちだ、ということもみんなが広く共有している経験則です。

 「頑張れ! 主宰者さん」

 「他人から2m以内の範囲に近づくな」「面と向かって人としゃべるな」—―そんなことを言われる状況がいつまで続くのか・・・。老夫婦2人のお気楽な生活を送っている私でさえストレスが溜まるのに、子育て中の家庭がどれほど不安や悩み、世の中への憤懣を抱えているか・・・。ちょっと想像できません。それこそ「言葉にできない」状況だと思います。

 それでも、そんなときだからこそ、それぞれの立場や環境の違いを超えて思いを共有したいな、と拙文をしたためました。

 「皆さん、頑張りましょう」