子供の手話が読み取れない…

我が子の手話がとても上手くなっている。たぶん、これは日本手話の世界ではおしゃべりな子供の類なのかもしれない。おしゃべりにはおしゃべりで対抗したい…が、子供の手話を読み取れない…100%僕の実力不足なのだが、非常に悔しい。そして、不甲斐なさを痛感する…

単語をたくさん覚えていれば読み取れるか、というと、そういう次元ではないことが手話素人の僕でもわかる。単語を知ってても、おそらくわからない。僕らが覚える単語とは違う…いや、単語が違うというか、単語に加える要素が高度化していて、ついていけないといった感じだろうか。

日本手話は単語だけでなく、表情や腕、手、指全体を使って細かいニュアンスまで表現できる言語だ。だから、単語はあくまでベースでそこに色んなニュアンスが追加される。ここがまさに日本手話の世界なのだが、聴者にはなかなかわからない。

最近の我が子の手話を見て、手話がうまいなぁ、テレビで見る手話ネイティブの手話みたいだなぁ、と感心するばかりで、読み取れないのだ。親としてどうなのだろうと思ってしまう…

我が子のろうの先生曰く、文法もちゃんとしているようだ。

日本語の書き言葉だと「僕は」「私は」といった主語は、通常文頭に来る。話し言葉だと主語はかなり省略される。日本手話だと主語を文末に持ってくることも多く、省略もあまりされない印象がある。

子供の手話を見ていると、一通り話しをした後で最後に主語となる人物を指差すことが多い。自分が主語の場合は自分を指差し、ママが主語の場合はママを指差す。

僕も手話で話すときは、主語が同じような順番になるが、僕が意識的にそうしているというよりは、子供の手話に倣って、同じようになってきたという方が正確な気がする。

すでに子供の手話から教わっている状況なのだろう…何だか複雑な気持ちではある。

我が子を通して、日本手話ってこういうものなのかぁと学ぶことが多い。

親としては、この日本手話の能力を伸ばして欲しいと心底思う。でも、聴者である僕らの力だけでは現実的に難しい。とはいえ、日本手話で学べる学校は極めて少なく、あっても、通えるかどうかは学校の受け入れ体制次第ということも多々あり…

早期に日本手話に触れることで、日本手話という言語でたくさんのことを聞いて、話して、学ぶことができるようになるのに、その機会も少なければ、その重要性を理解している人も少ない。

手話言語後進国だなぁ、とつくづく思う。

が、その前に僕自身の努力が足りてないのでそこが喫緊の課題か…