空間認識能力の差

手話教室で、物や顔の特徴を表現したり読み取ったり、絵や地図を表現したり読み取ったり、ということがある。こういった場面で、つくづく思うのは、僕自身の空間認識能力のなさと、ろう者の空間認識能力の高さだ。

空間を認識するということを、普段ことさら意識しているわけではないが、いざ、海にあるテトラポットの形を表現する、アサヒビール本社ビルの特徴的なオブジェの形を表現する、という場面に直面すると、なかなか細部を思い出せない。また、細部がわかっても、手や指を使って形を表現することがうまくできず、フリーズしてしまう。普段いかになんとなく見ていたのか、形を表現するのがいかに難しいかを痛感する。

表現する場合だけではない。読み取る場合にも高いハードルがある。左右逆にして読み取る、というハードルだ。

例えば、次のような絵が手話等で表現されているとする。

(A)左に木が2本あって、その右隣にビルがあって、その右隣に木が1本あって、鳥がその木の枝に止まっている。

読み取る側は、表現する側と向かい合って反対側に位置しているのが通常だ。そうすると、読み取る側から直接見える表現は、次のようになる。

(B)右に木が2本あって、その左隣にビルがあって、その左隣に木が1本あって、鳥がその木の枝に止まっている。

このように(A)と(B)は左右逆になってしまう。だから、読み取る側は、(A)を頭の中で左右逆にして読み取らないと正確に読み取れない。

この例だと、それほど難しいと感じない人もいるかもしれないが、もっと複雑な表現になると頭の中が完全に混乱する。少なくとも僕は相当苦戦している…

思えば、空書きを読み取るときもそうだ。空書きを表現する側は文字等を目の前の空間に書くだけだから簡単だが、読み取る側が難しい。左右を逆にして読み取る必要があるからだ。連続する漢字を読み取る場合などは、かなり苦戦する。

でも、ろう者はこれらをいとも簡単に読み取ってしまう。

これをそれらしい言葉で表現すると、空間認識能力の差、ということになるのだろうか。