難聴体験

難聴体験というものを受けた。耳にイヤモールドを作るときの耳型をそのままつけて、伝音性難聴の40dBの世界を体験するというものだ。その中で、模擬授業を体験した。先生役の人が生徒の方を向いて話す、黒板を向いて(生徒に背を向けて)話す、大きな雑音の中で話すなど、いくつかのシチュエーションが設定されて、それぞれの授業の体験をした。先生役の人が話す内容も、文章、単語や数字の羅列などバリエーションがあった。

単語や数字の羅列はほとんど聞き取れなかったが、短い文章はある程度聞き取れた。でも、よくよく考えてみると、聞き取れた、というよりも、意味がわかった、という方が正確だったのかもしれない。

いくつかの短い文章が先生役の人によって読み上げられたのだが、1つだけ全く意味がわからない文章があった。文章を聞きながら「コンソメ」という単語が聞こえたので、料理に関する文章だろうと思って、2回も聞いたが、さっぱりわからなかった。後から、実際に読み上げた内容が書かれた資料をもらったが、その内容を見てみると、「コンソメ」という単語はどこにもなく、「ホンソメワケベラ」という聞いたことのない魚の名前が書いてあった。おそらく、単語自体を正確に聞き取れておらず、かろうじて聞こえた音声の要素と僕が知っている「コンソメ」という単語が頭の中で結びついていたのだと思う。僕は「コンソメ」だと思い込んでいたので、頭の中では料理に関する文章がくるはずだ、という予測でいっぱいだったのだろう。正確に聞き取れないと、予測した内容が誤っていることに途中で気付くのが難しく、どこまでも誤解したまま聞き進んでいき、どんどん正確な内容把握から遠ざかっていく。

他の文章については、「運動会」とか、聞こえた単語が既知の単語だったので(しかも誤解ではなかったので)、そこから関連する単語や文章の展開を予測して、ある程度正確に文章全体がわかったのだと思う。

やはり、聞き取れていたのではなく、かろうじて聞き取れる単語を既知の知識や経験でカバーしながら聞いていたのだと思う。だからこそ、内容に脈絡のない、単語や数字の羅列がほとんどわからなかったのだと思う。

翻って、難聴の子供達が学校で授業を受ける場合はどうだろうか?子供達はこれからたくさんの知識や経験を増やしていくのだから、授業で聞く内容はほとんどが未知のものだろう。そうすると、僕ら大人のように、聞き取れない部分を知識や経験でカバーすることが難しい(又はできない)。全ての授業が、単語や数字の羅列を聞いていたのと同じようになるのかもしれない。仮にそうだとすれば、授業に参加している意味って??とすら思えてくる。これで伝音性難聴の40dBの世界だ。ましてや、感音性難聴でそれよりも重い場合は…

この難聴体験を受けて思い出したことがある。ある先生から言われたことだ。

子供のうちにいろんなことを体験させた方がいいと。リンゴならリンゴで、写真を見せるだけではなく、本物に触ってにおいや硬さなど五感でリンゴを体験する。更に、リンゴを包丁で切る過程を見せて、カットされたリンゴを自分の口で味わって、甘いや酸っぱいという味覚などの体験とも紐づける。更に、リンゴの木を実際に見て、このようにリンゴができるんだ、ということも体験できるとなお良い、と。このように、1つのリンゴという単語から様々な情報が連想できるように、五感をフルに使った経験をたくさん積むことが、特に難聴児には必要である、といった趣旨のことだった。

たくさんの経験が、難聴児の聞こえにも良い効果を与える、ということなんだと思う。