聴力と聴能の違い

生まれたばかりの子供が難聴であることを知ったのと同時に、感音性難聴であり現在の医学では治らないという衝撃的な事実も知った。ダブルパンチだ。乳幼児の場合は、正確な聴力を測定することが難しいので、成長に伴い多少聴力の数字が良くなることはあるらしい。良くなるというよりは、より正確な聴力がわかる、といった方が正確だろうか。いずれにせよ、裸耳の聴力は良くならないようだ。

一方、聴能という概念がある。聴能は後天的なものなので、努力や工夫次第で伸ばせるらしい。伸ばせる、というポジティブな響きは、「治らない」と宣告されている親にとってはとてもうれしいものだ。聴力は良くならないが、聴能は伸ばせるのだ。でも、肝心な聴能の意味が良くわからない。聴能って何だろう?聴力とは何が違うのだろうか?

聴力は、僕らが一般的にイメージする通りの意味で、耳で音声を聞き取る能力だ。対して、聴能は、脳で音声を認識する能力だ。音声を完全に聞き取ることができなくても、聞き取ることができた一部の音声情報やその他の情報を脳内でつなぎあわせて認識する能力を、聴能というようだ。

音声には、「あいうえお、かきくけこ、…」といった音以外に、韻律情報と言われる文字には表れない情報がある。韻律情報とは、アクセント、抑揚、リズム等を指す。「あ」とか「く」とかという音が明瞭に聞こえなくても、僕らは、自分達が想像している以上に、韻律情報をヒントに人が話す内容を認識しているようだ。

その他にも、僕らの脳内にある知識や経験も認識に活用している。知っている知識や過去の経験に照らして、今何を言っているのかを認識し、これから話される内容はどのようなものかといった予測をしている。このあたりは、僕自身が難聴体験で経験したことなので、とても納得ができる。

これらの情報を総動員して、脳で音声を認識する能力を聴能というようだ。

例えば、「運動会で玉入れをした。」という音声を聞いて、一部の母音しか聞き取れなかったとする。その場合でも、聞き取れた母音の情報と韻律情報を手掛かりにして「運動会」という単語を認識し得る。そして、残りの文は、聞き取れる一部の母音と韻律情報、更に、認識できた「運動会」に関連する知識や経験を手掛かりとして、「玉入れをした。」まで認識し得る、といった具合だ。

そう考えると、補聴器等を装用する意味は、「あいうえお、かきくけこ、…」といった音を聞き取ることだけでなく、音声の韻律情報等を聞くことにもあるのだろう。また、難聴児に多くの経験をさせた方が良いと言われるのも、脳内の知識や経験を増やすためであり、いずれも聴能を鍛え、難聴児の聞く力の向上につながっていくのだろう。

やはり脳の世界は奥が深い…