難聴の子供が通常の学級に通うことをインクルージョンと言うことがあるが、このインクルージョンという言葉はインクルーシブ教育から来た言葉だった。インクルーシブ教育とは、子供は1人1人違い、障害もその違いの1つにすぎないのだから、子供達それぞれのニーズにあった教育をすべき、という考え方だった。
2012年に中央教育審議会により報告された「共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育システム構築のための特別支援教育の推進(報告)」(以下、「2012年報告」という。)によれば、インクルーシブ教育システムとは、障害のある者と障害のない者が共に学ぶ仕組み、を指すとある。(障害をあるかないかで2分しているところが、インクルーシブ教育のそもそもの考え方とそぐわない気もするが…言い回しの問題だけだろうか)
もともとは、2006年12月の国連総会で「障害者の権利に関する条約」が採択され、ここにインクルーシブ教育(an inclusive education system at all levels 等)という用語が使用されている。日本はこの条約に2007年に署名し(2014年批准)、その後、インクルーシブ教育システムの構築や、手話による教育といった事項を今後の検討項目として決定している(「障害者制度改革の推進のための基本的な方向について」(2010年6月閣議決定案))。
これらの背景を踏まえて、2012年報告が作られている。
2012年報告によれば、「共生社会の形成に向けて、障害者の権利に関する条約に基づくインクルーシブ教育システムの理念が重要であり、その構築のため、特別支援教育を着実に進めていく必要があると考える。」と記載されている。
インクルーシブ教育システム構築のために、特別支援教育を進めていく、ということだから、特別支援教育を発展、修正させてインクルーシブ教育を実現させる、ということなのだろう。
2012年報告には、特別支援教育をインクルーシブ教育に発展させていくための3つの考え方が記載されている。
(1)障害のある子どもが、その能力や可能性を最大限に伸ばし、自立し社会参加することができるよう、医療、保健、福祉、労働等との連携を強化し、社会全体の様々な機能を活用して、十分な教育が受けられるよう、障害のある子どもの教育の充実を図ることが重要である。
(2)障害のある子どもが、地域社会の中で積極的に活動し、その一員として豊かに生きることができるよう、地域の同世代の子どもや人々の交流等を通して、地域での生活基盤を形成することが求められている。このため、可能な限り共に学ぶことができるよう配慮することが重要である。
(3)特別支援教育に関連して、障害者理解を推進することにより、周囲の人々が、障害のある人や子どもと共に学び合い生きる中で、公平性を確保しつつ社会の構成員としての基礎を作っていくことが重要である。次代を担う子どもに対し、学校において、これを率先して進めていくことは、インクルーシブな社会の構築につながる。
社会全体が協力し合い、障害について理解して、障害の有無に関係なく、共に十分な教育を受けることができるような環境を作る、という段階にまで至って、特別支援教育はインクルーシブ教育に発展する、ということなのだろうか。
なんだか抽象的な話だらけだが、少なくとも、障害の有無で分離するという方向から、みんなが一緒に、という方向にトップダウンで向かおうとしていることは確かなようだ。
ご参考:「共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育システム構築のための特別支援教育の推進(報告)」(2012年7月23日 文部科学省)http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/044/houkoku/1321667.htm