人工内耳の歴史

人工内耳は比較的新しい技術であると聞くが、どれほど新しいものなのだろうか。世界で最初に多チャンネル人工内耳の埋め込み手術が行われたのは1978年らしい…確かに比較的最近の話なのかもしれない、と思いつつ、ふと気付いてしまった…僕の生まれた年と同じ…なんだか複雑な気持ちだ。

多チャンネルに対して単チャンネルというのがある。というか、あった。文字通り、単チャンネルは人工内耳の電極が1つで、多チャンネルは電極が複数ある。現在は12~24のチャンネルを持つ人工内耳があるようだ。一時は単チャンネル人工内耳が優勢な時もあったようだが、有効性の問題等から単チャンネル型を製造していたメーカーは既にその製造を中止している。

オーストラリアのグレアム・クラークが、1978年に10チャンネルの人工内耳の埋め込み手術を成人に対して行なった。これが、世界で初めての多チャンネル人工内耳の手術だった。これをきっかけとして、コクレア社が設立された。その後、1982年にはコクレア社の22チャンネル人工内耳(以下、「N22」という。)の成人への手術が行われた。その後、アメリカのアドバンスト・バイオニクス社、オーストリアのメドエル社が参入し、現在の3大メーカーに至る。

日本では、1985年にコクレア社のN22の埋め込み手術が東京医科大学病院で初めて行われた。1987年には、当時の厚生省により、東京医科大学病院、虎の門病院、京都大学医学部付属病院の3つの病院におけるN22埋め込み手術が治験として認可された。その後、N22は医療機器として認可され、1994年に保険適用を認められた。

2000年にはアドバンスト・バイオニクス社の人工内耳が、2006年にはメドエル社の人工内耳が保険適用となり、3大メーカーの人工内耳が日本において実質的にそろうことになる。

こうして見ると、最初に手術がされたのは約40年前だが、日本で最初に保険適用が認められたのが1994年なので、実質的には約25年しか経っていない技術と考えることもできる。

今でこそ、その有効性が広まってきてはいるが、最初の手術がされた当時、人工内耳は絵空事のように扱われていたようだ。その後、実績を積み上げ、装用者が増えてくると、徐々に肯定的な意見が増えてくる。

なお、2014年には、小児の人工内耳適応基準の改訂が行われ、手術年齢は原則1歳以上(体重8kg以上)へと変更された。(現在のデータがわかればより良いのだが、)当時のデータでは、日本における人工内耳の手術件数は年間約1000件、そのうち、7歳未満が約半数となっている。現在はもっと多いはず。

もちろん肯定的な意見だけではない。批判的な意見も結構ある。人工内耳の不完全性に対する指摘や、聴者の親が子供の人工内耳手術を決定することに対する倫理的な問題などである。前者については、確かに誤解が多いようだ。人工内耳をしたからといって、聴者と同じように聞こえるわけではないし、手術後のトレーニングが必須となる。人によって効果がまちまちという意見もある。

これらの意見は、人工内耳を少しでも検討したことがある親であれば、(ほぼ)確実に耳にする意見であり、だからこそメチャクチャ悩む。