最近は、テレビでも目にすることが多くなったと思うが、音声を使わず、手や指の動き、表情等でコミュニケーションをとるのが手話である。
日本語でコミュニケーションをとる場合、通常は耳を使って相手の伝える内容を聞き取るのに対して、手話でコミュニケーションをとる場合、目を使って相手の伝える内容を読み取る。難聴により耳から情報が十分に入ってこない子供にとって、目を通して情報が入ってくる手話は、ストレスなくコミュニケーションがとれる自然な手段であるといえる。
手話の歴史を概観すると、手話を使うことが禁止されていた時代もあったようだが、10数年前から、1つの言語として尊重され、広く認知されるようになっている。
2006年の国連総会において採択された「障害者の権利に関する条約」において、「『言語』とは、音声言語及び手話その他の形態の非音声言語をいう。」と定義され、手話が言語として国際的に認知された。
その後、日本においても、2011年に改正された「障害者基本法」で、「全て障害者は、可能な限り、言語(手話を含む。)その他の意思疎通のための手段についての選択の機会が確保される」と定められた。現在では、手話言語条例、手話言語法といったルールの制定に向けた動きが国内で広がっているようだ。
このように広く認知されつつある手話だが、手話は1つではない。ろう文化の中で形成された手話である日本手話と、日本語に対応させる形で作られた日本語対応手話とがある。
いずれも視覚を使うコミュニケーション方法である点で共通するが、「言語」という意味では別ものになる。つまり、日本語対応手話は日本語を手話単語に置き換えたものであり、日本手話は日本語とは別の独立した言語であると言われている。
別もの、とは書いたものの、聴者である僕にとって、その区別を明確に表現することは難しい。一般論としては、日本手話は手や指の動きだけでなく、顔の表情や口の形、眉の上下や寄せ等の非手指動作を使うことで、文法的な区別や意味の広がりを表現していると言われている。日本手話の教育等に関して日本で先駆的な活動をしているNPO法人によれば、日本手話とは以下のようなものとなる。
「日本手話は、日本語とは別の、独立した言語です。独特の文法体型をもっていて、日本語とは語順が違います。手の形・位置・動きに意味があるだけでなく、肩の向き・うなずき・顔の表情・眉や口の動きなどにも文法的な意味があります。これに対して、日本語対応手話は、日本語の語順で手話単語を並べたもので、その原型は聞こえる人によって作られました。だから、ろう児には理解しにくいのです。」
引用:特定非営利活動法人バイリンガル・バイカルチュラルろう教育センター
特に重い先天性難聴児の教育という観点からは、母語を日本手話にするか日本語にするか、という重要な問題があるので、日本手話と日本語対応手話は明確に区別して考える必要があると思う。一方で、聴者の親が手話の勉強をする場合は、それほど明確に区別をする必要はなく(そもそも区別できない?)、それが日本手話であれ日本語対応手話であれ、たくさん子供と手話でコミュニケーションがとれるように手話の練習を頑張る!というシンプルな発想で十分であると(今のところ)思っている。