療育・教育の方向性としてどのような選択肢があるのか?

難聴児の場合、その療育・教育方針につき、全員に共通してベストな方針というものはない。子供の聴力、耳の状態、親のコミュニケーション方法や考え方など、子供の状態や置かれた環境によってそれぞれ適切な方針が異なる。だからこそ、親は非常に悩む。

では、そもそもどのような選択肢があるのだろうか?

僕は、自分の子供の療育・教育の方向性を考えるにあたって、①「聞くこと」、②「話すこと」、③「読み/書きすること」の3つに分けて整理するようにしている。日本で生活する日本人の聴者であれば、日本語で聞いて、話して、読み/書きするのが通常なので、これらを分けて考える必要も機会もほとんどないと思う。でも、難聴児の場合は、分けた方が整理しやすいと思っている。

①「聞くこと」

これには、大別して2つの選択肢がある。耳を使う方法と、目を使う方法だ。これらは二者択一というわけではなく、いずれか一方の場合も両者を組み合わせる場合もあり、グラデーションがある。

耳を使う方法については、難聴児の場合、自然体でいると日本語の情報が耳から十分に入ってこないので、補聴器や人工内耳を使って耳から入ってくる日本語情報を増やすことが多い。

目を使う方法は手話である。手話を読み取って、情報を目から取得するので、大抵の場合、難聴者にとってストレスがない。手話は難聴児にとって自然なアプローチであると言えるが、その反面、聴者の親にとっては、手話を1から覚える必要があるので、それなりのハードルがある。

どの方法をとるかは、上述のとおり、子供の状態や置かれた環境によって様々なのでなんとも言えないが、一般論として、重い難聴児の場合は、耳を使う方法(特に補聴器)だけでは入ってくる情報量に限界がある場合が多いようだ。

※目を使う方法については、他にも相手の口形を読み取る読話という方法もある。
※筆談、空書によって書かれた文字を読む、という方法もあるが、これは③「読み/書きすること」に含めている。

②「話すこと」

これも大別して2つの選択肢がある。口(声)を使う方法と、手話を使う方法だ。こちらも①と同様、二者択一というものではない。

口(声)を使う方法で療育・教育を進めるのであれば、①において耳を使う方法で療育・教育を進めた方が良いと言われている。ただし、耳で音を十分にとれなくても、口(声)を使って話すことができる人もいるようなので、この辺りはなかなか難しそうだ。発話については、訓練も必要だが、本人の才能のようなものも多分に影響すると聞く。

※筆談、空書によって書く、という方法もあるが、これは③「読み/書きすること」に含めている。

③「読み/書きすること」

これは、①②とは異なり、日本語の読み書き以外に選択肢はない(と思う)。手話には固有の書き言葉がないので、日本国内で圧倒的に使われている文字を理解し、また文字で表現するためには、日本語の読み/書きが必要になる。①②で手話をメインにしても、③では日本語を学ぶ必要があり、この点に、難聴児の療育・教育の難しさが横たわっているように思う。

それぞれの選択肢を念頭に置きながら、子供の状態や置かれた環境によって適切な方針を考えていくことになると思う。とはいえ、僕自身、未だによくわかっていないところが多いので、日々悩んでいる…

※主に先天性難聴児の療育・教育という観点に限定して書いている。実際、難聴者のコミュニケーション方法は、相手にあわせて様々な方法を器用に使い分ける場合が多いようだ。