手話での子育ってどんな感じ?

僕ら夫婦は聴者なので、子供が重度の先天性難聴だとわかった時点で、ゼロから手話を学ぶ必要があると考えた(この辺りは、人によって色んな考え方があるかと思うが)。ただでさえ大変な子育てを手話でやる?手話は全く知らないのだが…これから相当大変になるのだろう、と、妙に他人事のように感じていたことを覚えている。なぜ他人事か?そりゃ、右も左も前も後も、何もわからず、わからなすぎて身近な問題として捉らえることすらできなかったからだ。

とりあえず前に進むしかない。手話を習いに行こう

子供が生まれたばかりの聴の一般的な家庭であれば、かわいい我が子に対して、赤ちゃん言葉にアレンジされた日本語で、あれやこれやと呼びかけているのだろう。でも、僕らは、生まれてきた子供に呼びかける言語をもっていなかった。だから、子供が生まれてからすぐ、子供の言語をゼロから習いに行くという、ある意味シュールな行動に出るほかなかった。

言語の発達は、日本語の場合も、手話の場合も同じだと言われているが、僕の子供が手話を認識しているのかな、と何となくわかったのは、7ヶ月位の頃だった。妻がベランダで洗濯物を干す時、いつもはギャンギャン泣いていたのが、「洗濯物を干すから待っててね」と手話で言い続けていると、なんとなく意味が理解できるようになったのか、いつの間にか大人しく待てるようになっていた(もちろん、必ずしも毎回大人しく待っているわけではない…)。この頃は、まだ子供自身が手話を表出しているようには見えなかった(少なくとも、聴者である僕から見た限り)。

ただ、手話ネイティブの先生からは、まだ手を器用に使えないだけで、目や顔の動き等で既に意思表示ができている、と言われていた。僕ら聴者には識別できない表現を当時からたくさんしていたようだ。親がわからないというのは、何とももどかしいが…

1歳前後になると、徐々に手話が表出されるようになってきた。最初に出てきた手話は、コップを落とした時などに出る「しまった!」という手話だ。その後、「欲しい」「ちょうだい」「終わり」といった言葉が出てくるようになった。

ある時、子供がミッキーマウスの絵本を見ていたので、「ミッキー」の手話を子供に見せた後、近くにあったミッキーのぬいぐるみを子供の前に出して、「同じ」という手話を見せた。これを何日か続けていくうちに、ミッキーの絵本を見せると、自分からミッキーのぬいぐるみを持ってきて、「同じ」という手話をするようになった。事物の識別ができるようになったんだ、と感動した。

その後、手話を覚えるスピードが少し上がったような気がする。

ろうの子供をもつ聴者の親のあるあるネタとして良く聞くのが、子供が言語(手話)を覚えるスピードは早いので、すぐに親はついていけなくなる、ということだ。素人目には、とても上手に手話を使う聴者の親でも、子供の手話が読み取れないことが多々あるのだそうだ。英語のできる日本人がネイティブの英語を聞き取れない場合と同じようなものだろう。

そういう話を聞くと、僕も焦る。もっと手話の勉強をせねば!
(といっても、既に子供の背中を追いかけている状態なのかもしれないが…)